犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

旅のむこう


夫婦で一泊の温泉旅行に行ってきました。
車で二時間弱の行程を、気の向くままに寄り道しながらの旅でした。
子どもが生まれてから、夫婦だけで泊まりがけの旅行に出るのは初めてだと、妻が言います。よくよく思い返してみると、たしかにその通りでした。

それだけ子どもたちを中心に家族が動いてきた、ということなのでしょう。別の見方をすれば、私たち夫婦の関係が、いかに子どもたちに支えられ、依存していたかを物語っているのかもしれません。

宿に着き、夕食前に入った湯から上がると、部屋は静かで、すっかり暗くなった窓の外にはもう人の気配がありませんでした。
来年が結婚何周年になるのかを話しているうちに、結婚生活の年数が、妻の年齢のちょうど半分になることに気づきました。
私のほうがだいぶ年上なので、私がかなりの年寄りにならないと、「人生の半分を妻と過ごした」とは言えません。

「君だけに、人生の半分を私と過ごさせてしまった」

冗談めかしてそう言うと、妻は少し間を置いて、

「よくもったわねえ」

と返してきました。

あとから考えると、映画『東京物語』の一場面のようではないかと、我ながら可笑しくなりました。
そういえば、あの映画で老夫婦の夫を演じた笠智衆は、まだ五十歳にもなっていなかったはずです。そのことを思い出すと、なおさら可笑しさが込み上げてきます。

いつまでも老成しきれず、子離れさえできずにいるのは、この半世紀のあいだに人間が退歩したからなのか、それとも、自分ひとりの問題なのか。
そんなことを、妻の寝息を聞きながら、布団の中で考えていました。