2024-01-01から1年間の記事一覧
最近届いた『ペシャワール会報』に、中村哲医師の昔の文章が掲載されていて、それを読んでしばらく考えさせられました。「チームワークに難儀するのはどこも同じである」で始まるこの一文は、アフガニスタンの無医地区でチームを束ねてゆくことの難しさを語…
福岡市の繁華街天神の夜のクリスマスマーケットに出かけました。家族そろっては、初めてのことです。コロナ禍明けの昨年は、娘たちの就活インターンや、友達付き合いなどで一緒に出向くことはなかったのです。 雑然たる日々のすきまに見えきたる光の如く年を…
少し前のことになりますが、長崎で被爆して被爆者手帳を持っている方の相続に携わりました。遺族に県から212,000円が振り込まれており、これが「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づく「葬祭料」であることを初めて知りました。むろん非課税財産…
稽古場に「歳月不待人」の掛け軸がかけられています。これを見ると、残された日数では、とても年初に設定した目標を達成できないと、毎年のように思います。 ところで、陶淵明は「及時當勉勵 歳月不待人」(時に及んでまさに勉励すべし 歳月人を待たず)と詠…
稽古場の茶掛に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」の言葉がありました。師走のあわただしさに、我を忘れないようにという戒めなのだと思います。 これは道元禅師の言葉で、自分の足元をよく見よ、という意味から転じて、人のことをあれこれ言う前に、自分自身…
夜明け前に降っていた雨が、近所の山茶花(さざんか)の生垣を濡らしていました。花の少ないこの時期の山茶花の赤は、路地にひときわ鮮やかな彩りを加え、雨に濡れることでいっそう艶やかに見えます。 この時期の時雨を「山茶花時雨(さざんかしぐれ)」と呼…
石川淳著『新釈雨月物語』のなかで、印象に残った話をもうひとつ紹介します。「菊花の約(ちぎり)」は、おおむね次のような話です。馬鹿正直を絵に描いたような学者、丈部左門は世渡り下手な人物でした。そんな左門が行き倒れになった病人を、流行り病だか…
上田秋成の『雨月物語』を口語新釈で読みました。絶版になった石川淳『新釈雨月物語』(角川文庫)をアマゾンで取り寄せたものです。そのなかの「貧福論」を読んで、しばし考えさせられました。大略、次のような話です。蒲生氏郷に仕える武将、岡左内は、金…
炉の点前がふすまを締め切ることから、11月の茶掛けの禅語には、小宇宙を描く言葉が選ばれるように思います。いずれも、閉じた小さな空間の内と外とで、全く違う世界が繰り広げられていて目の眩む思いがする、という意味の言葉です。 「壺中日月長(こちゅ…
一碗のお茶を客に差し出すとき、ただひたすらにお茶をふるまうことの難しさを感じることがあります。点前の所作がある程度身体にしみこんでくると、所作に気を取られない分、点前の様子がどう映ったのかなど相手のことが気になって、かえって邪念が頭をもた…
福岡県東峰村で開催された陶器市「民陶むら祭」に行ってきました。最後に訪れたのが2017年大水害の前だったので、もう7年以上の歳月が経っています。水害では多くの窯元が被災し、昨年夏の豪雨でも被害が出たと聞いていましたが、前回訪れた窯元や店舗は変わ…
所属支部恒例の秋季茶会に夫婦で出席しました。秋晴れに恵まれ、暑さが残るものの、心地よい風もときおり茶室の中を通り過ぎます。薄茶席の掛け軸は、坐忘斎家元の筆による「遠山無限碧層々」でした。 当ブログで何度かご紹介したことがありますが、これは私…
風炉の最後の稽古となる十月は、名残の月などと呼ばれます。暑さをこらえて稽古を続けた日々の名残惜しさを増すように、茶室のしつらえや道具も枯れたものになっていきます。この時期「残花」と言って、やや小ぶりになった花や、照り葉の少し混じった花を飾…
京都旅行で本当においしい抹茶を味わったことを前回書きました。あれから、あのお茶のような、おいしいお茶を点てたいと思いながら、稽古をしています。 茨木のり子の詩「小さな渦巻」のなかの一節に、こうあります。 ひとりの人間の真摯な仕事はおもいもか…
三連休を利用して、夫婦で京都に行ってきました。炎天下、長距離を歩くのはお互いに無理だとわかっていたので、茶道に関係する場所だけにしぼって訪ねる旅でした。 裏千家今日庵の前でお互いの写真を撮っていると、茶道会館の方がわざわざ夫婦並んだ写真を撮…
「月読み(ツクヨミ)」は名月の季節にふさわしい美しい言葉です。月を表す古語であると同時に、イザナギの禊から産まれた三貴神のひとりで、月を司る神を指す言葉でもあります。夜ごと姿を変える月、暦の基礎となる月に、古代の人々は神意を読みとろうとし…
お茶の稽古の途中で女郎花が群生しているのを見かけました。秋の七草にも数えられ、黄色い小さな花が可憐なので、茶花に格好のようにも見えますが、この花はお茶の世界では、かつて「禁花」とされていました。「女郎花」という名前がよくないというのがその…
台風10号が九州を直撃上陸し、停滞したまま激しい雨を降らせて、各地に深い傷跡を残しています。職場は木曜、金曜ともに臨時休業としたものの、月末の営業停止です。ある程度の仕事の区切りをつけ、休日出勤した職員の帰路の確認や顧客への連絡もしなければ…
詩人の茨木のり子が、今まで読んできた詩のなかで、一番好きな詩を一編挙げるとすると何になりますか、と聞かれて次の詩を思いついたと書いています。(茨木のり子 長谷川宏著『思索の淵にて』参照) 年をとる それは青春を歳月のなかで組織することだ ポー…
お盆の休みにも関わらず、師匠に「引次(ひきつぎ)」の席を設けていただき、本日裏千家のお茶名を拝受しました。博士課程を修了して、昨年遠方の大学に就職した社中が帰省しており、彼女と一緒に茶名拝受の栄に浴することになったのです。 すっかり大学の教…
立場を代わることのできないものどうしが、代わり得ないために、かえって奥深いところで、つながる。歌の世界では、そのあたりの機微に触れることができます。 噴水のむこうのきみに夕焼けをかえさんとしてわれはくさはら(永田和宏『黄金分割』) 歌集の出…
夏の時期の歌のなかで、気になってノートに書きつけていた一首に、しばらく目が止まりました。 秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは(堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』) いっぱいに広げた両掌に秋茄子を乗せてかけてゆく少年、その…
仕事のうえで思うにまかせぬことが続くと、ついつい気持ちが塞ぎがちになります。毎日うち続く容赦ない暑さにさらされるとなおのことです。こんなときには、私は次のように考えるようにしています。苦しみが原因で、気持ちが塞いだり、意気阻喪したりするの…
もう一か月以上前のニュースですが、国際研究チームが、銀河の中心にある巨大ブラックホールの撮影に初めて成功したと、報じていました。それは地球から約2万7000光年の距離にあって、「見かけの大きさは月の上のドーナツ(直径8cm程度)ほどの大きさ…
薄茶の稽古は、久しぶりに「葉蓋」の点前でした。水指の蓋の代わりに葉を用いる、ちょうど七夕のころの点前です。裏千家十一代玄々斎の考案なので、幕末の時代に生まれた点前ということになります。七夕の趣向の茶会で、玄々斎好みの花入の受け筒に、梶の葉…
福岡城の濠では、蓮の茎が隆々と伸び、葉が水面を覆い尽くしていて、朝ここを訪れると、白い花が濠に光を放っているのが見えます。十数年前、3号濠と5号濠の蓮が壊滅状態だったのを、外来種の亀の食害が原因と特定して対策を講じた甲斐あって、今のこの姿が…
利休の庭に見事な朝顔が咲いている、という噂を聞きつけた秀吉は、それでは見に行こうと、朝から利休の屋敷へ向かいます。どんなに丹精こめた朝顔が見られるだろうと楽しみにしていた秀吉でしたが、どこにも花は見当たりません。訝しんだ秀吉が茶室に入ると…
夕方の散歩道にヤマボウシの白い花が咲いています。 木を覆いつくすように花が咲くので目を引くのですが、どこか寂しげな印象を与えるのは、飾らない端正な花がまっすぐ四方に伸びる様子からでしょうか。この「花」のように見えるものは、実は蕾をつつむ葉が…
昨日の茶道の稽古場に、社中のひとりが小さなお孫さんを連れてきていました。これから「盆略点前」のお稽古をするのだそうです。 玄関には可愛らしい花柄のサンダルがきれいに揃えられていて、社中の皆の微笑みを誘っていました。私はうちの玄関にも、あんな…
福岡城の天守閣を建築しようとする動きが、このところ活発で、その一環として天守閣の形を鉄パイプで櫓状に組み上げ、桜まつりの期間、ライトアップするという企画がありました。ライトアップは先月までなので、パイプの櫓がどうなっているか見に行ったとこ…