犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

望むことと生きること

「望むことと生きることは別々だから、望みが叶わなくても、意気消沈するなかれです。」

これは、渡哲也が演じた『浮浪雲(はぐれぐも)』のなかのセリフです。昨日、倉本聰さんが亡くなったというニュースを聞いて、『浮浪雲』のことを思い出し、ネットで検索していて、この言葉に行き当たりました。

『北の国から』や『前略おふくろ様』など、倉本作品はほとんどリアルタイムで観てきました。どれも深く感銘を受けましたが、一番心に残っているのは、ひょっとすると『浮浪雲』ではなかったか、と思い返しています。

いつも上機嫌に遊び歩いている、渡哲也演じる「雲」が、大事な局面になると、息子の新之助に諭すように言葉を発します。その言葉のひとつひとつが重たい。
それでいて、まったく説教くさくはなく、こちらの身構えをすり抜けて、いつの間にか心のなかに入ってくるのです。

『浮浪雲』の名言として、「人生で一番大切なことは、機嫌がいいこと」という言葉も残っています。
思うようにならないことに出会うと、人はすぐに希望を持とうとします。けれども、望んだことが叶うことと、生きていくこととは別のことなのです。叶わないからといって、うつむく必要はない。冒頭の言葉は、そんなふうに、力を抜いて前を向け、と呼びかけているようです。

そういえば、このドラマが放送されていた頃、思春期の袋小路にいた私は、いつも暗い顔をして下を向いていました。だから、あの言葉が心に響いたのだと思います。

倉本聰が手掛けた大河ドラマ『勝海舟』は、主演の渡哲也が病気で降板し、その後、倉本自身も現場とのトラブルから降板することになりました。倉本は後に、この出来事が自分にとって大きな転機になったと語っています。

『浮浪雲』は、その渡哲也を再び迎えて作られた作品でした。
だからなのでしょうか、あのドラマで「雲」が言っていた言葉は、思うようにならないことを抱えながら、それでも機嫌よく生きていこうとする人の言葉でした。
そして、それはひょっとすると、倉本聰自身が、もう一度前を向こうとしていた時の言葉でもあったのかもしれません。

夜爪を切る


夜爪はよくないと思いながら、お茶の稽古の前日に爪が伸びていると、爪を切ります。さあ終わったと思って、足元を見ると、こちらの爪も逞しく伸びています。やれやれ、という感じです。

思わず、「爪は伸びる」と独りごちました。

「えっ」と妻が聞き返すので、こう言い直します。

「当の本人には何の成長もないのに、それでも爪は伸びるんだ」

妻は笑うけれども、これは偽らざる実感なのです。

一日ごろごろしていたのに、お腹が空く。あれだけ寝たのに、あくびが出る。そんなことが、最近気にかかるようになりました。

こういうことは、とめどもなく自分の身体の外にも広がっていきます。庭の手入れをしても、いずれ雑草が生い茂る。部屋を掃除しても、またホコリが溜まる。そして、ついにはこんな感慨にたどり着きます。

「どうせ死ぬのに、なぜ生きる」

そう口に出してみて、つらつらとこんなことを考えました。庭の手入れや部屋の掃除を、完璧に終えることが目的なのだろうか。終わりが目的なら、いつまでたっても終わらないことは、たしかに無駄に見えます。

しかし、庭はまた草が生えるから手入れをする。部屋はまたホコリが溜まるから掃除をする。爪もまた伸びるから切る。そういうことを繰り返しているうちに、一日が過ぎ、一年が過ぎていくのです。

生きるというのは、案外そういうことなのかもしれない。

そんなことを思いながら、足の爪を切ります。
思いのほか大きな音が出て、寝ようとしていた妻を起こしたのではないかと心配になりました。

月渡るススキ原


大濠公園能楽堂が、今年で創立四十周年を迎えるとのことで、竹灯籠のライトアップが施されていました。能楽堂から大濠公園を望む、ちょうど正面の花壇にはススキが植えられています。明後日の中秋の名月には、能楽堂の大きな窓から、ススキの穂の上に名月が浮かぶ姿が見えるでしょう。創立四十周年を祝う、素晴らしい舞台になるに違いありません。

中秋の名月にススキが添えられるのは、十五夜が秋の収穫に感謝する収穫祭の側面を持っていたからだといいます。本来なら実った稲穂を供えたいところですが、十五夜の頃はまだ稲刈り前で、十分に実った稲穂が手に入らない。そこで、ススキを稲穂に見立てて飾るようになったといわれます。

また、古くからススキは、神が降り立つための「依り代」と考えられてきました。茎の内部が空洞になっていることから、そこに月の神が宿るとも伝えられています。

われわれは、名月を眺めて「月を愛でる」と言います。けれども、月見とススキの由来をたどってみると、もともとは月を愛でるというより、月に祈りを捧げることだったのかもしれません。

皓々(こうこう)と月渡りゆくすすき原折々しろき波たたせつつ
(鳥海昭子『誕生日の花と短歌365日』)

皓々とした月明かりの下を、ススキの原が折々に白い波を立てています。
先日、一面のそば畑に咲く白い花を見たときの、息を飲むような感動を思い出します。白い小さな花が一面に広がる光景を、鳥海昭子は「祈りのような白さ」と詠んでいました。

月明かりを受けたススキの穂もまた、白く光り、風に揺れています。
たまたまそこに居合わせたわれわれは、ただ立ちすくみ、その光景を見上げることしかできません。
祈りとは、立ちすくみ、見上げることではなかったでしょうか。

敬老の日


敬老の日です。
高齢者と公的に名指しされるようになってから、この日を迎えるのは、もう三回目になります。それでも、いまだにまったくピンときません。敬ってほしいとは言わないけれども、哀れんでほしくはないと思います。

敬老の日を詠んだ、こんな歌があります。

「敬老の日だよ」と言ふを可哀想と思つてゐたのはいつまでだつたか(梅内美華子『梅内美華子歌日記2004』)

これは作者が三十代前半の歌なので、自分が老境に立ってしみじみ感じた思いではありません。「敬老の日だよ」と年寄り扱いすることを可哀想と思っていた、子どもの頃の自分を振り返りながら、親や祖父母の老いに向き合うようになった「大人」の視点から詠んだ歌なのでしょう。

少し前まで、「2025年問題」などと言って、団塊の世代が一斉に後期高齢者になることが、社会の大きな問題として語られていました。社会保障費の増大や医療・介護需要の急増をどう支えるかという問題です。老人を厄介者として扱ったり、反対に老人医療や介護を大きな市場として眺めたりする。どちらも、老人を自分の外側に置いて眺める「大人」の視点なのでしょう。

ところが、やがてその大人たちも、ところてんのように、順番に「老人」という大きな器のなかへ押し出されていく。

「敬老の日だよ」と言われ唖然とし目を剥いたのはいつからだったか

さしずめ、今のわたしの心境を歌にすれば、こんなところでしょう。

思えば、老人をめぐって、人は三つの時代を通り過ぎていくのかもしれません。

「老人扱いして可哀想」と思う子どもの時代。
「老人問題」をどうにか処理しようとする大人の時代。
そして「老人」の側に立って、狼狽する老人の時代。

最後の段階に来てみると、老人とは、案外自由なものなのかもしれません。腫れ物を扱うように気を遣われる立場からも、商売の対象として眺められる立場からも離れて、ただ自分が老人であるというところに立つのです。

それを開き直りと言われても仕方がありません。せめて敬老の日くらいは、そんなふうに考えてみたいものです。

カリガネソウ


カリガネソウの花は不思議なかたちをしています。青紫色の左右二対の花弁の下に、もう一枚の花弁が配置され、長く伸びた雌しべと雄しべが、この花を上から覗き込むように弧を描いています。花の蜜を吸う蜂の背中に、ちょうど花粉がつくような仕組みになっているのだそうです。この複雑なかたちが、雁が羽を広げて空を飛ぶ姿に見えることから、この名が付いたといいます。

しかし、この花の名は後世に付けられたもので、花の名としての「カリガネ」が古代、中世の和歌に詠まれることはありません。カリガネといえば、「雁の音」、つまり雁の鳴く声や雁そのものとして歌に詠まれてきました。

雁がねの 寒く鳴きしゆ 水茎の 岡の葛葉は 色づきにけり
(『万葉集』)

雁が寒々と鳴き渡ってからというもの、岡の葛の葉がみるみると色づいてきた、という歌です。鳥の鳴き声は、季節の移ろいを告げる大切なものだったのでしょう。

そういえば、ホトトギスは鳥の名前が先にありました。その鳥の姿や色に似た花に、鳥の名が重ねられたのです。鳥の色に似た秋草を見て、初夏に聞いたホトトギスの鳴き声と、行く夏を思ったのかもしれません。

カリガネソウもまた、鳥の名を借りています。雁の鳴き声は深まる秋を思わせます。その花を見たとき、耳に残る雁の声を、花の名に重ねたのではないでしょうか。

秋の訪れを最初に感じさせたのが鈴虫の音であったように、音は季節を最初に運んできます。音は不意に訪れるゆえに忘れがたいものです。その驚きを、ひとは花の名としてとどめようとするのでしょう。

玉紫陽花の残花


玉紫陽花(たまあじさい)が床の間の籠花入に咲いています。つぼみが玉のような形をしているので、その名が付けられました。夏の終わりから秋にかけて見られる、珍しい紫陽花の仲間です。薄紫色の小さな花が中央に集まり、その周囲を、四枚の白い装飾花が囲んでいます。

その白い花の色が褪せ、一部が朽ちかけ始めています。盛りを過ぎた花には、咲き誇っていたころとは別の趣があります。この花の見ごろは、ちょうど今なのかもしれません。
夏が次第に遠ざかり、名残の月と呼ばれる十月を迎えようとするこの季節、暑さに耐えて咲き続けた花は、夏の名残と更けゆく秋との「あわい」にいます。「残花」の趣きとは、こういうものなのでしょう。

時が進むにつれて、花は少しずつ色褪せてゆきます。その姿を見ていると、いま目の前にある花の向こうに、残暑のころに咲いていた花の姿まで浮かんできます。過ぎてゆく季節と、これから深まってゆく季節、その二つの間に、花は静かにとどまっています。
そして、あわいにとどまるのは花だけではありません。過去を惜しむ心と、いまの移ろいに身を任せる心。その二つが重なり合うところに、私たちの時間は、少し厚みを増してゆくのかもしれません。

 庭の面(おも)の 枯野の草に 咲き残りて 人をあわれむ 撫子の花
 (正岡子規)

枯野の草のなかに咲き残る撫子を詠んだ歌です。枯れゆく草のなかで、なお咲いている。その姿には、季節に取り残されたような寂しさと、それでも命を繋いでいる健気さが同時にあります。
病床にあった子規は、この小さな花に、夏を生き抜いてきた自分の姿を重ねたのでしょうか。「人をあわれむ」という言葉には、花を見ている子規自身の心も滲んでいるように思えます。

玉紫陽花の、やや茶色がかった花の色を眺めていると、その上に、陽に映えて輝いていた白い花の姿が重なって見えます。
盛りの花と、朽ちゆく花、その間で、しばらく佇んでいます。

鶴瓶の水指


行く夏を惜しむように夏の点前の練習をしました。「鶴瓶の水指」を使った薄茶点前です。

鶴瓶の水指は、井戸から水を汲み上げる鶴瓶を模した水指で、檜でできています。左右二枚の蓋のうち、左側の蓋を滑らせるように外し、右側の蓋の上に滑らせるように重ねる。このとき、蓋の擦れあう音とともに、ほのかに檜の香が漂うのが、涼やかな趣があります。客からも湛えた水の揺れる様子が垣間見えるので、これも涼しさのおもてなしです。

こうやって、風炉に特有の点前を楽しむことができるのも、ほんのわずかの期間になってしまった。そう思って、しばらく鶴瓶の水指を眺めます。

 朝顔につるべ取られてもらひ水

などと詠まれる鶴瓶は、日常の道具でありながら、どこか人の心にひと呼吸置かせるようなところがあります。どっしりと風格がただよう、その形からでしょうか。

稽古が終わった後、「鶴瓶の水指の薄茶の稽古ありがとうございました」と師匠に挨拶するのですが、「鶴瓶」のイントネーションについて、皆の意見が一致しません。

—最初の「つ」にアクセントを置くのでは—

—いや、平板なアクセントにしなければ笑福亭鶴瓶になってしまう—

などと言いながらわいわいと話しました。

東京弁・標準語では、最初の「つ」にアクセントを置くらしい。そんなところで、話は落ち着きます。
こうやって、つまらない話を長々とするのも、夏の名残惜しさからだろうか、などと思うのです。