犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

ムラサキツユクサの花


ムラサキツユクサの花が咲いています。ツユクサよりも早く咲く、少し背の高い、三枚の花弁が特徴的な花です。透けるように薄い花びらが、朝露に濡れているのが、控えめな印象を与えます。

星野富弘さんの詩画集『四季抄 風の旅』に、ムラサキツユクサの絵を背景に書かれた「二番目に言いたいこと」という詩があります。

 二番目に言いたいことしか
 人には言えない
 一番言いたいことが
 言えないもどかしさに耐えられないから
 絵を描くのかも知れない
 うたをうたうのかも知れない
 それが言えるような気がして
 人が恋しいのかも知れない

合唱曲としても知られる詩で、梅雨空に向かって懸命に咲くこの花の佇まいに響き合うようです。

一番言いたいこと、とは言ってしまったその先のことを想像すると、恐ろしくて口に出せないことなのでしょうか。あるいは、言葉にすると別のものになってしまうのが口惜しくて、思いとどまってしまう感情なのでしょうか。

「それが言えるような気がして/人が恋しいのかも知れない」と、この詩は結ばれているので、そういう「ためらい」とも違うような気がします。

人は二番目に言いたいことを語りながら、一番言いたいことのまわりを巡っているのかもしれません。絵を描くことで、うたをうたうことで、そして恋しい人とムラサキツユクサを眺めながら言葉を交わすことで、人は一番言いたいことの近くまで行こうとしているのかもしれません。

朝の光を透かす花びらを見ていると、その心の機微こそが人の営みの美しさのようにも思えました。

雨美人のはなし


宮本輝のエッセイに「雨の日に思う」(『命の器』所収)というものがあり、興味深く読みました。

大学生のころテニス部に所属し、毎日のように練習に明け暮れていた宮本にとって、土砂降りの雨の日は、練習を堂々と休める嬉しい日だったといいます。雨の日は練習を休めるだけではなく、大学近くの喫茶店で仲間たちと会うのが楽しみでした。正確にいうと、仲間たちと会うことではなく、近くの女子大のテニス部の練習も休みなので、彼女たちが合流してくるのが、何よりも楽しみだったのだそうです。

宮本がしみじみと語るのが、その女子大生のなかで「雨美人」と仲間うちで呼ばれていた娘のことです。テニスコートにいるときには、目立つタイプではないのに、雨の日の昼下がりの喫茶店では、しっとりと落ち着いて、他の誰よりも魅力的に見えるのだそうです。男たちで、彼女はなぜ雨の日に美しいのか、さんざん議論の対象になるのですが、結論は出なかったといいます。

ただそれだけの、他愛のない話なのですが、なぜか心惹かれる話です。この話で、幻の花とも言われる「サンカヨウ」を思い出しました。

涼しい山地に自生する、白い小さな花が、雨に濡れるとガラス細工のように透き通るのだといいます。ただし、花びらが透けるには条件が必要で、透明になるまでには、濃霧などで、ゆっくりと時間をかけて水分を含む必要があるのだそうです。さらに開花期間が短いので、雨季と花期のタイミングが合わないと透明花は見られないといいます。
この幻のような美しさから、野生のサンカヨウを見るために、わざわざ山に登るひともいるのだそうです。

普段は花びらの透明な細胞のなかに空気の泡が含まれていて、それが乱反射して白く見えているのに、花びらが長時間水に触れることで、細胞に水が満たされてガラスのような透明な姿になるのだといいます。
サンカヨウの透明な花びらは、こうやって説明できます。しかし、宮本輝が惹かれた「雨美人」の謎は解けないままです。

雨の日の喫茶店でだけ、ひときわ美しく見えた娘。
雨美人の謎を仲間と語り合った思い出ごと、その面影はいまも記憶のなかで、咲き続けているのだと思います。

ヒルガオの花


セントラル・パーク構想のために開発予定の住宅地域を抜け、大濠公園方面に向かうと、福岡市立美術館の近くに出ます。この生垣に「昼咲き月見草」によく似た佇まいの、薄桃色のヒルガオが咲いていました。

この花も繁殖力が旺盛で、地下茎を伸ばし、こうやって生垣の隙間から顔を出しているのです。昼から花を咲かせるのでヒルガオと名づけられたこの花は、夜にはしぼんでしまう一日花です。

 腕いまだ灼けざる夏よひるがほは
 昼月のごとく透きつつ咲きて
 (河野裕子『ひるがほ』)

作者は二児に恵まれて、ちょうど子育てに忙しい時期の歌です。まだ日焼けしていない腕、昼の空にうっすらと浮かぶ月、そして色の透けるようなヒルガオが咲いている。初夏の静けさと、これから迎える光に満ちた季節への予感を感じさせる歌です。そこには、儚さではなく、澄み切った希望が感じられます。

一日花とはいえ、つるが伸びるにつれて、新しいつぼみを付けるので、生命のたくましさを感じさせます。たとえば木槿(むくげ)の醸し出す儚い印象とは違うものだと思います。

利休の有名な逸話に「朝顔の茶会」があります。利休の庭に見事な朝顔があると聞きつけた秀吉が訪ねると、庭の花はすべて摘み取られ、床の間にはただ一輪だけが残されていたという話です。

当時の朝顔は木槿だったという説もあります。しかし私には、ここに登場するのは、やはり蔓を伸ばしながら次々と花を咲かせる、あのアサガオであってほしいと思います。

儚げな花でありながら、その奥に旺盛な生命力を秘めている。その強さがあってこそ、利休の苛烈な趣向とも拮抗するのではないでしょうか。

灌木に絡みつき、生垣の隙間から薄桃色の花をのぞかせるヒルガオを見ていると、そんなことを思います。しぼんでは咲き、咲いてはまた新しい蕾をつける。その姿には、儚さよりもむしろ、生きようとする力のほうが濃く宿っているように見えるのです。

昼咲き月見草


福岡市にはセントラル・パーク構想というものがあり、旧裁判所跡、鴻臚館跡(旧平和台球場)、福岡城址、舞鶴公園、大濠公園を一体開発することを目指しています。

先日、福岡城址の菖蒲園を訪れたついでに、その西側の空き地の目立つ地域を歩きました。ここは十数年前までは、民家が立ち並んでいた場所ですが、この開発構想のために立退が進み、空き地のなかに住居が点在しています。

福岡大空襲で焼け出された人のために、市が公用地を貸し出したのが宅地化の始まりなので、住民も立退を余儀なくされるのです。セントラル・パーク構想では、この地域は広大な広場空間に変わり、隣接する北側には武家屋敷の復元なども計画されています。


   (オレンジ色で囲んだあたりが空き地地域)

さて、かつては住民たちが通ったであろう道の脇に、薄桃色の花が地面に這うように咲いていました。一緒に散歩をしていた妻に花の名を訊くと「昼咲き月見草」だと教えてくれました。

「月見草」は夕方咲きはじめ、翌朝にはしぼんでしまう「一夜花」ですが、この花は昼間に咲くので「昼咲き月見草」と名づけられたのだそうです。一度咲くと二、三日咲き続けるのも「月見草」との違いです。
月見草は野生化せずに栽培されているのに対し、この花は繁殖力が旺盛で、こうやって人々のいなくなった空き地に野生化するのです。

計画通り広大な広場が誕生すれば、管理しやすく外観も華やかな植物が植えられるのでしょう。そうなれば、この空き地に根を広げた昼咲き月見草の姿も見られなくなるかもしれません。
しかし、復元される武家屋敷の脇には、むしろこうした楚々とした花の方がよく似合うように思います。

菖蒲と睡蓮の池


福岡城址の南に広がる堀池では、睡蓮と菖蒲が同時に花を咲かせています。水辺に映る菖蒲の白や紫と、睡蓮の黄色のコントラストの鮮やかさが、初夏の訪れを告げているようです。

少し高い位置にある菖蒲園から株分けしたものが、お堀の岸辺に移植されたのでしょう。二つの花の出会いが、一幅の絵のような光景をつくり出しています。

菖蒲の花といえば、以前、知人から苗を分けてもらい、プランターで育てたことがありました。かたく結ばれた蕾が、徐々に色づき、時間をかけて解きほぐすかのように、ゆっくりと花開く様子は「花笑む」という言葉がぴったりでした。

蕾が色づいてから開花するまでのあいだ、気を揉むようなもどかしさもあり、その様子からは大切に育てられた「箱入り娘」のような印象を受けました。

睡蓮の花はハスの花と同様、泥の中から茎を伸ばし、水面に顔を出します。いずれも「泥中にあって潔し」と讃えられ、汚れをものともしない、強さと清らかさの象徴ともされます。


ハスの花が長い茎の上に肉厚の花をつける大胆な印象なのに対し、睡蓮の花は水面にやや細めの花弁を幾重にも付けています。水に浮かぶ花はまるで水の妖精のようで、学名のニンフェアも水の妖精「ニンフ」が由来なのだそうです。また英名の「water lily」(水に咲くユリ)も、この花の佇まいをよく表しています。

菖蒲と睡蓮という育ちも気質も違う花が、同じ水辺に根を張り、同じ季節に咲き並び、それぞれの気品を湛えています。

ふたつの花を眺めていると、「萩の舎の二才媛」と呼ばれた田辺龍子と樋口一葉のことを思い出します。歩んだ道は異なりますが、龍子は一葉の才能を認め、その作品を世に紹介しました。
花も人も、ただ競い合うだけではなく、それぞれ違う姿のまま同じ季節を生き、ときに支え合うこともあります。

水面の下では見えないところで根を触れ合わせ、何かを語り合っているのかもしれないと思いました。

ひつじぐさの花


娘たちが小学生くらいから、毎年、家族の写真をまとめて冊子にしています。
昨年のものを遅ればせながら注文すると、これまでずっと四人そろっていた家族旅行に次女の姿がところどころ欠けていました。去年社会人になって、ひとり遠くに赴任することになったのです。日常生活の三人家族には慣れてきましたが、かたちに残るものに一人がいないのは、やはり寂しいものです。

 ひつじぐさぽつぽつと咲いて気まぐれに
 時の束ねし三人家族

 (永田和宏『昨日の夕暮れ 翌朝の朝』)



三人家族という言葉から、この歌を思い出しました。妻、河野裕子さんを病で亡くしてようやく落ち着かれた頃の歌でしょうか。長男・淳さん、長女・紅さんと「気まぐれに時の束」ねた三人家族が、寄りそっています。

「ひつじぐさ(未草)」は、未の刻(午後二時頃)に花を咲かせることが名の由来とされる水生植物です。ぽつぽつと、それぞれのペースで咲くその花のように、どこか淡々と、しかし確かに時間は流れてゆきます。その時間の気まぐれで、本来ならば四人の家族が、三人でひとつの束になっている。そうやって寄りそい、ともに生きている家族への愛おしさが伝わってきます。

いまがちょうど盛りの福岡城址の菖蒲園を少し下ると、もう薄桃色のスイレンが咲いていました。
ひつじぐさと同じ、スイレン科スイレン属の花です。
北側の大きな濠では、これから蓮の花が季節を迎えますが、スイレンが咲くのは南側の小さな濠だけです。

ぽつぽつと咲く花を眺めながら、妻と長女を連れて、またあの濠を訪ねてみようと思いました。

都忘れの花


都忘れの花が稽古場に生けられています。この時期のどの花とも違う佇まいは、黄色の筒状花を、舌状花が取り囲む独特のかたちゆえでしょうか。あるいは薄紫色の醸し出す寂しさのせいなのかもしれません。

 忘れいし人の顕(た)ちきて歩をとどむ
 都忘れの花のむらさき
 (鳥海昭子)

昨年の今ごろ、仕事のあとの懇親会の席で、お父さんが亡くなって何年になるんでしたっけ、と訊ねられ、その日が父の誕生日であったこと、父が生きていればちょうど百歳になっていたことに気付きました。
この歌の上の句のように、思いがけぬ父の出現に歩みをとめる思いでした。

都忘れは、もとはミヤマヨメナをもとに育てられた花で、いまでは紫だけでなく、青や桃色のものも見かけるようになりました。

この花の名は、承久の乱で佐渡に流された順徳上皇が、その地に咲く可憐な白い野菊に心を慰められ、「都忘れ」と呼んで愛しんだことに由来します。菊は皇室の象徴であり、とりわけ白菊は父帝が愛した花でした。

順徳上皇の詠んだ歌が、そのころの心情を伝えています。

 いかにして契りおきけむ白菊を 
 都忘れと名づくるも憂し

なんという巡り合わせなのだろう、父の愛した白菊を「都忘れ」と名付けてみても、悲しい心は晴れないままだ、とその悲しみを詠むのです。隠岐島に配流された、父、後鳥羽上皇を思う歌でもあります。

紫色の可憐な花は、初夏の光に照らされるほどに、かえって人の不在を深く際立たせるようです。