犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

百日紅の花

百日紅(さるすべり)の赤い花が咲いていました。この時期の多くの花と同じように、小さな花が房状に咲くので、遠目にも花が咲いているのがよくわかります。真夏の花の印象がありますが、梅雨時から咲き始め秋までの長い期間、次々に花を咲かせるので、百日のあいだ紅を宿す花という名前になったといいます。

さて、この花には苦い思い出があります。
祖母の庭にあった百日紅の木を父が自分の庭に植え替え、祖母の形見のように大切にしていました。ところが、父の入院や私たち家族の転居で、水遣りが行き届かず、枯らしてしまったのです。その名のとおり、猿も滑りそうななめらかな木肌を残しながら、枝先は枯れていました。

父の最晩年、命取りとなった右足先の壊死を思い返すたび、枯らしてしまった百日紅の木のことも思い出します。命日に古い写真を見返すと、眩しい光を放つ百日紅の花のもと、元気なころの父と姉と私の三人で撮った記念写真がありました。このころ母はもう入院していたのだと思いました。

 しんしんと百日紅は咲き盛り
 夏のまなかにとほき夏あり
 (雨宮雅子『悲神』)

この歌の「とほき夏」は、大切な遠い思い出の夏なのでしょう。夏の盛りに見せる、鮮やかな百日紅の花の赤は、日ごとに色を濃くしていくようです。その花の色は、わたしたちを現実から引き離して、遠い昔に連れてゆきます。

父が亡くなってお世話になったお医者様方に挨拶に伺ったときのこと、あるお医者様からこのように言われました。お父上はいつも愛嬌を振りまかれるので、看護師さんたちに大変人気だったのですよ、と。

派手ながら洒落たシャツを好んで着ていた父の姿を思い出しました。百日紅の花の華やかさは、どこか父の面影にも重なります。だからこの花を見るたび、私にとって百日紅は、遠い夏だけではなく、父そのものを思い出させるのです。

半夏生の花


夏至から数えて十一日目の七月二日は「半夏生」でした。農作業の節目とされる日で、豊作や厄除けを願う風習があります。

この日の名前の由来になったとも言われるのが、半夏生の花です。
葉っぱの半分ほどが真っ白な白粉を塗ったような様子から「半化粧」とも呼ばれます。開花と同時に花穂のすぐ下の葉が白く変わり、花が終わる頃には白変した葉は緑に戻るといいます。
ヤマボウシやドクダミと同じように、葉を白くして虫に花のありかを知らせる努力なのでしょう。

花が終われば白い葉は緑へ戻り、また目立たぬ姿に還ってゆく。その潔さは、晴れの日を終えて黙々と日常へ戻る人の姿にも似ています。農作業の節目に咲く花と思えば、その名もどこかふさわしく思えてきます。

そうやってこの花を見ていると、一見難しい次の歌も、すんなり心に沁み込んでくるようです。

 夢前川(ゆめさきがわ)の岸に半夏の花ひらく
 生きたくばまづ言葉を捨てよ
 (塚本邦雄「感幻楽」)

夢前川という美しい名前の川岸に、葉の色を変えてひたすらに生命を全うしようとする半夏生の花が咲いています。
「生きたくばまづ言葉を捨てよ」とは、言葉を飾る前に、生そのものへ身を投じよということでしょうか。葉の色を変えてまで虫を呼び、季節が過ぎれば静かに緑へ戻る半夏生を見ていると、その厳しい一句も不思議と腑に落ちるようです。

茶室には、水辺の涼しさを運んでくれる半夏生がよく似合います。その静かな姿の奥に、「まづ言葉を捨てよ」と言わしめるほどの芯の強さがあることを思いました。

ともに見る空


七月の父の命日が近づきました。最晩年の介護の日々を振り返ると、いまだに「あのとき、ああしていればよかった」という後悔の念が浮かびます。


もっと頻繁に孫達との食事の機会をつくるべきだったと思うのです。食事制限が取れ、車椅子で入れる回転寿司をようやく見つけ皆で食事をしたときの、孫達に皿を取ってあげる表情の輝かしかったこと。最晩年の闘病生活で見せた数少ない笑顔の印象でした。あの頃の私は介護という務めに心を奪われ、その人とともに過ごす時間の豊かさを十分に受け止められていませんでした。

内藤定一さんの歌集『スロー・グッバイ』(青磁社)は、著者の妻が抱えるアルツハイマーと向き合った、19年の記録です。
長い介護の間には、戸惑いや絶望の瞬間もあるはずですが、自分たちの置かれた状況に少しでも前向きに対処しようという姿勢に心を打たれます。

痴呆後の空の広さをわれ知らず異なる思いに妻と歩めり

妻の見ている空は自分の見ている空よりも広く澄んでいるに違いない、著者は願いを込めてそう思います。しかし、妻と共有できない澄んだ空の広がりは、著者から遠く退いていくようです。

悪意にも知恵にも無縁の妻と来て干潟に下りし鳥を見ている

徘徊癖のある妻を「それゆけハイカイ号」と名付けた自転車で連れ出し、干潟のうえから鳥を並んで見ている様子を詠んだ一首。妻の空の広さを共有できないとしても、餌をついばむ鳥の姿を自分たちに重ねて眺めることはできます。
ひっそりとこの世の片隅に生の営みを続けるつがいの鳥に自分たちを重ね合わせることで、著者は妻と同じ世界を共有することができたと感じることができたのかもしれません。老いた夫婦でありながら、一瞬だけ幼いころのような連れ立つ楽しさが戻ってきたのではないかと思わせます。

失語癖はげしき妻の目を見つむ かすかに意志をみせる目の色

著者が心の底から求めたものは妻との対話でした。言葉を交わすことが難しいのなら、せめて目の表情を読もうとする。これに応えるように妻の目の色に意志の光を見出す。著者の一途な気持ちが報われた瞬間の希望の歌です。

ほんもののやさしさだけしか通じない妻の痴呆に励まされつつ

幼い頃の精神に帰ってしまった妻に頼られている、それは「ほんもののやさしさ」を持つものとして、認められていることでもあります。そのことを、みずからの励みとして介護の日々を送る覚悟を詠うのです。

徘徊はスロー・グッバイの始発駅どこへ行くのか誰も知らない

介護の「覚悟」と言っても、ここには著者の気負いは見られません。
介護の日々を詠んだ「介護詠」が、すぐれて私たちの希望でありうるのは、絶望的な断絶を乗り越えようと取り組む姿が、ひとのコミュニケーションの「原型」として、私たちに感じられるからではないでしょうか。

相手から返事があるかどうかを問わず、鳥を見せ、目を見つめ、澄んだ空を信じ続ける。そのように心を差し出し続ける営みは、一つひとつが贈り物なのでしょう。贈り物をおくり、また受け取ること。それが、人のコミュニケーションの原型なのだと思います。

咲き登る花 : オカトラノオと立葵


オカトラノオの花が下蕪(しもかぶら)の花入に一輪生けてありました。小さな花が集まって、虎の尾のようなかたちをしています。ほかの艶やかな花の引き立て役となるのではなく、こうやって単独の姿でいるのもよいものだと思いました。

梅雨の時期には、長い花茎には多くの花を順々に付ける植物が多くみられます。雨で花粉が流されることなく、昆虫によって花粉が運ばれる可能性を高めるための、懸命な生命の働きです。

近くの公園でひときわ目立つ存在の「立葵」もまた、長い茎に花を下から上へと咲かせています。一番上まで花が咲ききると、梅雨が明けると言われる季節の指標の花でもあります。

 陽に透きて今年も咲ける立葵
 わたしはわたしを憶えておかむ
 (河野裕子『葦舟』)

病床で余命幾ばくもないと告げられた作者が、みずからが生きた証として、ひたすら自分のために立葵を見、その姿を憶えておこうと詠んだ一首です。背の高い立葵の佇まいが、この歌の凛々しさ、そして淋しさに響き合います。

このとき咲いた立葵も、憶えておこうとする作者も、取り替えのきかない一度きりの姿です。「わたしはわたしを憶えておかむ」と詠むことで、生きた証を残そうとした作者の姿が、残された歌を読む者の心にいつまでも生き続けます。

父の入院先の病院にオカトラノオの花が咲いていたのを思い出します。父の命日が近づきました。

小川正子『小島の春」を読む

小川正子著『小島の春』を読んでいます。小川は、みずから希望してハンセン病患者の治療にあたる長島愛生園に勤務し、献身的な治療にあたるも、結核に倒れ若くして亡くなった医師です。彼女がハンセン病在宅患者の収容に奔走した記録が『小島の春』に収められています。

この本は太平洋戦争中に出版され、大きな感動を呼んだものの、しばらく絶版状態だったのを、2024年に復刊されました。この本の存在を知ったのは、花にかかわるエッセイ、小説などをまとめたアンソロジー、河出文庫『花の物語』に、『小島の春』の一節「花に寄せて」が載っていたからです。
編集者も文庫本解説で、「この一篇を収めたいがために、この企画を思いついたとっていっても過言ではない」と述懐するほど、心うたれる一文でした。

「花に寄せて」は、愛生園で治療する青年患者と、小川医師との格闘の記録であり、青年がこよなく愛した花々の記録であり、そして結核で病に伏すようになった医師が、花々を通して、生きること、患者に向き合うことに思いをめぐらせる誠実な記録です。

ハンセン病には神経痛がともない、とくにこの青年患者は重症でした。モルヒネを打っても効果が少なく暴れ出して、小川医師もたまらずに病室の窓から避難することもありました。そのあたりの記述も悲壮感ではなく、ユーモアを交えて語っているのが、この医師のそしてこの一文の魅力なのです。

この患者は、凪のように神経痛の治まったときには、園内にある花壇の花々に限りない愛情をそそぎ、その花々を他の患者にも分けようとする、心やさしい青年でした。

小川医師が結核の病の床で、見舞いに持ってきてもらった桜草に、どれほど慰められ、この花に頼り切ったか、正直に述懐しています。次のくだりは魂の絶唱のようです。

花に一生の生命を注ぎ尽くして生きていた松原(青年患者−引用者注)は世にも淋しい人だったのだ。想えば淋しかったであろう松原の心は、おおどかな母の様な心もちで、身が痛めば心も痛む神経痛の夜をいたわってくれる人が欲しかったのだ。(中略)常は雄々しく堪えて行ける松原にも、神経痛のいたみなのやら、人間の心の痛みなのやらわからない苦痛の夜もあったろう。(中略)「松原、気がつかなかったんだよ、堪忍してくれな」机の上の桜草の鉢に向かっていて、私は、そう声に出して云わずにはいられないのだ。

復刊された『小島の春」には出版当時の書評も収録されていて、小林秀雄は「余り本当の事で心が一杯で、嘘なぞ書く暇がないのである」と評しています。本当の現実に向き合った医師の日々に、圧倒されながら本書を読み進めているところです。

シマトネリコの雲


遠くの木立ちに白いモヤがかかっているように見えたので、近くに寄ってみると、街路樹のシマトネリコの木の花でした。小さな花が房状に連なり、それが幾重にも重なって大きなかたまりに見えるのです。

薄暗い梅雨時のなかでも、こうすれば昆虫にも見つけやすく受粉の機会が増えるのだといいます。房状に連なった花は、時間をかけて順番にゆっくりと開花するので、強い雨で花粉が流されてしまうこともなく、長い時間、昆虫たちを引き寄せることができるのです。

ツユクサが苞葉に常に新しい花を忍ばせ、ドクダミが葉を白い花のかたちに変えて虫を呼び寄せるように、植物たちは、少しでも生き残る可能性のある戦術を、過去四億年の間にすべて試しています。その一方で、ツユクサのような可憐さがない分、わさわさと揺れる雲のような花のかたまりは、四億年分の植物が背負った、生きることへの執念のようなものを感じさせます。

シマトネリコは、その名のとおり、もともとは沖縄や台湾などの亜熱帯地方が原産の木です。そのため、日本の本州に自生する落葉樹のように、健気に、季節を知らせるように咲くのとは異なり、南国特有の手加減のない生命力を秘めているという話を聞きました。

この樹の生命力は、北欧では特別な見方をされるのだそうです。北欧神話に登場する、巨大な聖なる樹「ユグドラシル」は、セイヨウトネリコをモデルとしていると言われます。その聖なる樹は、天界や人間界など九つの世界をつないで支えている「世界樹」なのです。

シマトネリコの花は、ときに木であることの輪郭を失って、遠目には、白い雲が枝先に降りてきたようにも見えます。北欧の人々が、セイヨウトネリコに世界樹ユグドラシルの姿を重ねたのも、そんな感覚からだったのかもしれません。天を支えるような巨木が、瑞々しい緑の葉を爆発させるように茂らせ、巨大な緑の雲を作り出すのだといいます。一本の木でありながら、どこかこの世の境界を越えて広がっていくような気配です。

シマトネリコは、遠くから見れば、ただ白い雲が木立ちにたなびいているようでした。しかし、その下に立つと、四億年の試行錯誤を経た無数の小さな花が、静かに空へと枝を伸ばしています。この世と異世界の境目とは、案外こんなふうに、見慣れた街路樹の梢にひらいているのかもしれません。
しばらく立ち止まり、白い花の雲を仰ぎ見ました。

清流、間断なし


稽古場に「清流無間断」(せいりゅうかんだんなし)が掛けられています。梅雨どきの鬱陶しさを爽やかな気分に変えてくれる言葉です。
詩はこの言葉の次に「碧樹かつて凋(しぼ)まず」と続きます。

「渓谷の清流は絶えることはなく、常緑樹はいつも緑を湛えている」と詩は詠います。渓谷の水は絶えず流れ、常緑樹もまた古い葉を落とし新しい葉を育みながら、その緑を絶やさない。動と静の対比のようでいて、この言葉はそこにとどまりません。生命は絶えず入れ替わることで、変わらぬ輝きを保つ、そのダイナミックな働きを描いているのだと思います。

「清流無間断・碧樹不曾凋」という言葉を思っていた折、先日、太宰府天満宮の本殿の大改修が完了したというニュースを目にしました。
漆や檜皮などの伝統的な資材や技術でよみがえった本殿は、華麗でありながら品格を保っていると聞きました。映像で見た檜皮ぶきの屋根の曲線が、日に照らされて輝いている様子は圧巻です。いつまでも、緑の輝きを絶やさぬ巨木のようだと思いました。

この本殿の裏側に、俳人荻原井泉水の句碑があり、そこにはこう刻まれています。

くすの木千年さらにことしの若葉なり

境内の巨大なくすの木に圧倒されながら、その古木の枝の先に若葉が芽吹いているのに、改めて目を奪われる。俳人の驚きと静かな感動が伝わってきます。本殿が新たになったこの時期に、ちょうど響き合う句碑だと思います。

風炉濃茶の点前は、茶碗に湯を入れる前に、水指から一杓、水をくみ釜に入れます。釜に落ちた水は、しばし涼やかな音を立てるのです。その水音を聞いて、床の「清流無間断」が、ふいによみがえりました。