遠くの木立ちに白いモヤがかかっているように見えたので、近くに寄ってみると、街路樹のシマトネリコの木の花でした。小さな花が房状に連なり、それが幾重にも重なって大きなかたまりに見えるのです。薄暗い梅雨時のなかでも、こうすれば昆虫にも見つけやす…
稽古場に「清流無間断」(せいりゅうかんだんなし)が掛けられています。梅雨どきの鬱陶しさを爽やかな気分に変えてくれる言葉です。 詩はこの言葉の次に「碧樹かつて凋(しぼ)まず」と続きます。「渓谷の清流は絶えることはなく、常緑樹はいつも緑を湛えて…
お茶の稽古の帰りに、旧宅の近くに車を走らせました。近くにあった栗林が、長い紐のような花を付けているのが懐かしく、このあたりを散歩すると、この花の独特な香りが鼻をついたのを思い出します。 垂れ下がる花房が幾すじにものぼり、それぞれが強い香りを…
新聞を読んでいて、「茨木のり子生誕百年、没後二十年」という見出しの、詩集『倚かからず』の広告に目が止まりました。 できあいの思想や、あらゆる権威にも「倚りかからず」みずからの道を切り拓いた詩人の、今年はそういう年なのだと改めて思います。百年…
ムラサキツユクサの花が咲いています。ツユクサよりも早く咲く、少し背の高い、三枚の花弁が特徴的な花です。透けるように薄い花びらが、朝露に濡れているのが、控えめな印象を与えます。星野富弘さんの詩画集『四季抄 風の旅』に、ムラサキツユクサの絵を背…
宮本輝のエッセイに「雨の日に思う」(『命の器』所収)というものがあり、興味深く読みました。大学生のころテニス部に所属し、毎日のように練習に明け暮れていた宮本にとって、土砂降りの雨の日は、練習を堂々と休める嬉しい日だったといいます。雨の日は…
セントラル・パーク構想のために開発予定の住宅地域を抜け、大濠公園方面に向かうと、福岡市立美術館の近くに出ます。この生垣に「昼咲き月見草」によく似た佇まいの、薄桃色のヒルガオが咲いていました。この花も繁殖力が旺盛で、地下茎を伸ばし、こうやっ…
福岡市にはセントラル・パーク構想というものがあり、旧裁判所跡、鴻臚館跡(旧平和台球場)、福岡城址、舞鶴公園、大濠公園を一体開発することを目指しています。先日、福岡城址の菖蒲園を訪れたついでに、その西側の空き地の目立つ地域を歩きました。ここ…
福岡城址の南に広がる堀池では、睡蓮と菖蒲が同時に花を咲かせています。水辺に映る菖蒲の白や紫と、睡蓮の黄色のコントラストの鮮やかさが、初夏の訪れを告げているようです。少し高い位置にある菖蒲園から株分けしたものが、お堀の岸辺に移植されたのでし…
娘たちが小学生くらいから、毎年、家族の写真をまとめて冊子にしています。 昨年のものを遅ればせながら注文すると、これまでずっと四人そろっていた家族旅行に次女の姿がところどころ欠けていました。去年社会人になって、ひとり遠くに赴任することになった…
都忘れの花が稽古場に生けられています。この時期のどの花とも違う佇まいは、黄色の筒状花を、舌状花が取り囲む独特のかたちゆえでしょうか。あるいは薄紫色の醸し出す寂しさのせいなのかもしれません。 忘れいし人の顕(た)ちきて歩をとどむ 都忘れの花の…
織部茶碗の良さというものが、分からなくなることがあります。それらしく雰囲気だけを取り繕ったものには、何の魅力も感じませんが、名碗と言われる「織部菊文茶碗」の写真など見ると、背筋の伸びる思いがします。その中間領域の良し悪しの明確な線引きが難…
福岡城址の近くの牡丹・芍薬園の芍薬が見事だという話を少し前に聞いていたので、出かけてきました。花園全体はもう盛りを過ぎており、人影もだいぶ少なくなっていましたが、白い芍薬のいくつかが、なお静かな美しさを保っています。 名残りの芍薬、といった…
稽古場には爽やかな風が通り抜けて行きます。「行雲流水」の掛軸、床柱には備前焼の「旅枕」花入から卯の花(ウツギ)が可憐に顔をのぞかせています。 約三百年前の今日、五月十六日、松尾芭蕉は弟子の曾良を連れ、奥州へ向けて旅立ちました。 卯の花を かざ…
三月期末の総会の時期になると、総会後の懇親会に出席する機会が増えます。座敷の三和土には大勢の靴が並んでいて、年に一度しか会わない人の靴どうしが、仲良く並んでいるのを見ると、微笑ましくもあります。くたびれた靴たちを見ていると、遠い昔のことを…
有田陶器市で、武雄「くろかみ窯」の花器を買いました。 いつもは小皿や蕎麦猪口のようなものにしか手を出さないのですが、どうしても惹かれた作品です。高さ23センチほどの小品で、端正な造形と、釉薬を使わない炎の生み出す大胆な色彩変化が融合して、独特…
海沿いの道を通って、唐津まで足を延ばしました。虹の松原の海岸を訪れるのは、子どもたちが小さかった頃以来のことです。 初夏の陽光に輝く波頭が目に飛び込み、海原の明るい青が活力に満ちた季節の到来を告げています。見飽きることのない青色のグラデーシ…
『論語』に「下学して上達す」とあります。 これを「初歩的なことから学んで上達する」と解釈したのでは、「天を恨まず、人をとがめず、下学して上達す」と続く文章の流れを、バランスの悪い、底の浅い話にしてしまうように思います。また、別のところで、孔…
千利休が「天下一の点前」と絶賛した茶会があります。 宇治の茶商、上林竹庵の茶会に招かれたときのこと。竹庵は、天下の茶匠である利休の来訪をこの上ない喜びとして迎え入れました。 懐石から中立までは滞りなく進みましたが、いざ濃茶の点前が始まると、…
ナンジャモンジャ(一葉たご)の白く繊細な花が、街を彩っています。 若い頃には見かけることのなかった花が、こうして至るところで咲いているのを見ると、どこからか贈り物を受け取ったような気分になるものです。もともと絶滅危惧種として知られ、岐阜や愛…
人事異動の時期とあって、さまざまな人と名刺を交わします。同じ数だけ、「さようなら」もあります。この時期に出会い、別れる人は、どちらかといえば裏方の人が多いのです。定年を過ぎ、嘱託まで勤め上げた人には、できるだけ時間をかけて挨拶をするように…
吉野棚という風雅な棚を、稽古で使っています。 客付には大きな丸窓が開き、反対側の勝手付にはふすまが施された、意匠の凝った棚です。裏千家十三代の圓能斎が、高台寺・遺芳庵の「吉野窓」を写して考案したものと伝えられています。 炉の季節にはふすま、…
稽古場に、イチハツの花が一輪、鶴首の花入に活けられていました。一瞬、あやめかと思いましたが、時期が少し早いのです。よく見ると、外側の花弁の中央に、白いトサカのような突起があります。あやめ科のなかでも最も早く咲くことから、「一初」と名づけら…
わが家の廊下の絵を掛け替えました。 一時期、好きで集めていた井堂雅夫さんの木版画を中心に、できるだけ季節感のあるものを掛けるように心がけています。桜の花の散り終えるころが、掛け替えのタイミングなのです。ひときわ華やかだった、大版の満開の桜の…
街路樹のハナミズキが花を咲かせています。白いトンネルのような並木道を通り抜けると、ひとつ春が深まったように感じます。 花水木の道があれより長くても 短くても愛を告げられなかった (吉川宏志)あの花の終わるまでに思いを告げなければ、きっともう勇…
去年の春、わらび狩りに入った山で、シャガの花に出会いました。 わらびの群生する日陰に寄り添うように咲いており、その一輪を、根を傷めぬようそっと掘り上げて持ち帰ったものが、いま、わが家のベランダに根付いています。種子を作らず、地下茎だけで冬を…
近所の公園の白木蓮を愛でることもなく、早々に花が散ってしまいました。 咲き誇る桜を傍目に、ようやく若葉を吹いたばかりの木蓮が立ちすくんでいます。清々しい緑も美しいけれども、せっかく咲いた花と向き合わずに散ってしまうのは、やはりさびしいもので…
利休忌茶会に行ってきました。桜の名所として知られる福岡城址に近い日本庭園での開催とあって、花見客のあいだを縫うようにして茶席へと向かいます。待合までの寄付には、利休像が掲げられていました。添えられた書付は、鵬雲斎宗匠の筆によるものです。文…
稽古場の白竹筒の掛け花入に、椿と貝母(ばいも)が活けられていました。 貝母は、バイモユリ、あるいはアミガサユリとも呼ばれる、釣鐘形の楚々とした花です。椿のような花と取り合わせると、その控えめな佇まいによって、かえって椿の存在感が引き立つよう…
近所の公園では、花壇をいくつかの区画に分け、そのひと区画ずつをボランティアに託しています。十一月にチューリップの球根植えから四月の開花までの世話をしてくれる人を募ると、たちまち定員に達するのだそうです。丹精こめて育てられたチューリップが、…