犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

友禅菊の小半時

友禅菊は不思議な花です。風雅な名を持ち、楚々として群れて咲く様子などは、わが国古来の花のように見えます。しかし、花の真中の明るい黄色と、それを取り囲む花びらの鮮やかな紫の対比は、洋花のような雰囲気を醸し出しています。調べてみると、この花は…

いつもとは違う時間

楠田神社のイチョウの木を見に行きました。 数日前、博多の秋の風物詩「ぎなん落とし」がニュースで報じられていて、久しぶりに、あの巨木に会いに行きたくなったのです。「ぎなん落とし」は、樹齢三百年ともいわれる一本のイチョウの木に、雄株と雌株の両方…

遠い運動会

近くの幼稚園から、運動会の音楽が聞こえてきます。最近の運動会は春に開かれることが多くなったようですが、ここでは昔ながらの秋の風物詩が、今も続いています。うるさくも感じなかったので、しばらく音楽に耳を傾けていました。 それにしても、陽気な音楽…

天竺牡丹

公園の新しくなった花壇に、いろいろな種類のダリアが咲いています。幅広の花弁が幾重にも重なるもの、花全体がボールのように丸くなるもの、細い花弁が放射状に広がるものなど、形もさまざまです。しかも、同じ種類の花でも、オレンジ、黄色、薄桃色と、そ…

もっと遠くへ

お茶の稽古が終わって空を見上げると、抜けるような青空が広がっていました。「天高く馬肥ゆる秋」といいますが、空の高さを思わせる雲の影さえない、鮮やかな青です。こんな空を詠った歌があったはずだと思い、この歌に思い至りました。 すいえんのあまつを…

ミズヒキ

稽古場の宗全籠に秋の花々が咲いています。ススキ、オミナエシなどの秋草と一緒に、ミズヒキがふんわりと投げ入れられていました。ミズヒキは、細くしなやかな茎がすっと伸び、その線はかすかな風にも揺れるほど華奢です。長い茎に点々と並んで咲く小さな花…

シモツケの花

公園の生垣にシモツケの花が咲いています。枝先に薄紅色の小さな花が、ふんわりとドーム状に集まっています。夏の初めに咲き始め、八月の猛暑のころには、いったん勢いが衰えていました。それが先月の終わりごろから、また花の勢いが増してきたように感じま…

若い父

子どもたちが小さい頃、毎週どこかに遊びに出かけました。この季節ならば、芋掘りに郊外まで脚を伸ばします。一面のコスモス畑の脇の細道を抜けると、ひと区画分の芋畑が用意してあり、そこで家族四人の芋掘りをするのです。鍬で土を起こすと、土のにおいが…

竹の実

呉服屋さんで、「竹の実」の話を聞いたことがあります。 竹は数十年に一度、花を咲かせ、実を結ぶ。そのあと、竹は寿命を迎えて枯れてしまうといいます。竹林は地下茎でつながっているので、一本の竹が枯れることは、やがて竹林全体の命にもかかわります。さ…

道を踏みはづす

十月を迎えました。例年、いつまでも暑さが続くので、秋がなくなって、夏と冬の二季になってしまったなどと言われて久しいですが、今年はお盆を過ぎたあたりから、心地よい風を感じる日が増えました。名月を見上げるひとときにも、あの懐かしい「秋の気配」…

望むことと生きること

「望むことと生きることは別々だから、望みが叶わなくても、意気消沈するなかれです。」これは、渡哲也が演じた『浮浪雲(はぐれぐも)』のなかのセリフです。昨日、倉本聰さんが亡くなったというニュースを聞いて、『浮浪雲』のことを思い出し、ネットで検…

夜爪を切る

夜爪はよくないと思いながら、お茶の稽古の前日に爪が伸びていると、爪を切ります。さあ終わったと思って、足元を見ると、こちらの爪も逞しく伸びています。やれやれ、という感じです。思わず、「爪は伸びる」と独りごちました。「えっ」と妻が聞き返すので…

月渡るススキ原

大濠公園能楽堂が、今年で創立四十周年を迎えるとのことで、竹灯籠のライトアップが施されていました。能楽堂から大濠公園を望む、ちょうど正面の花壇にはススキが植えられています。明後日の中秋の名月には、能楽堂の大きな窓から、ススキの穂の上に名月が…

敬老の日

敬老の日です。 高齢者と公的に名指しされるようになってから、この日を迎えるのは、もう三回目になります。それでも、いまだにまったくピンときません。敬ってほしいとは言わないけれども、哀れんでほしくはないと思います。敬老の日を詠んだ、こんな歌があ…

カリガネソウ

カリガネソウの花は不思議なかたちをしています。青紫色の左右二対の花弁の下に、もう一枚の花弁が配置され、長く伸びた雌しべと雄しべが、この花を上から覗き込むように弧を描いています。花の蜜を吸う蜂の背中に、ちょうど花粉がつくような仕組みになって…

玉紫陽花の残花

玉紫陽花(たまあじさい)が床の間の籠花入に咲いています。つぼみが玉のような形をしているので、その名が付けられました。夏の終わりから秋にかけて見られる、珍しい紫陽花の仲間です。薄紫色の小さな花が中央に集まり、その周囲を、四枚の白い装飾花が囲…

鶴瓶の水指

行く夏を惜しむように夏の点前の練習をしました。「鶴瓶の水指」を使った薄茶点前です。鶴瓶の水指は、井戸から水を汲み上げる鶴瓶を模した水指で、檜でできています。左右二枚の蓋のうち、左側の蓋を滑らせるように外し、右側の蓋の上に滑らせるように重ね…

ホトトギスの花

プランターにようやく根付いたホトトギスが、花をつけ始めました。紫色の花弁に、紅紫色の斑点がびっしりと入っています。この模様が、野鳥のホトトギスの胸にあるまだら模様に似ていることから、その名が付いたといいます。よく見ると、花の中央にある花柱…

重陽の節句に

重陽の節句には、菊の花の絵を飾りました。 陰陽思想で「陽」の最大数の九が重なる日に、長寿や健康を祈るのです。古来、菊は邪気を祓い、寿命を延ばす霊薬と信じられていたので、菊花を使ったしきたりが、重陽の節句にはあります。菊花に綿を被せておき、香…

夜の虹

夜7時過ぎ、近所の公園を散歩していると、西の空に細くたなびく雲が、幾重にも赤く染まって、それは厳かな光景でした。 目を転じて、すでに夜の闇に溶け込もうとしている北の空を見ると、濃い雲の隙間に虹のような光のプリズムが微かに浮かんでいます。あれ…

濃茶、再入門

茶道の稽古で、この夏から濃茶の回し飲みを再開しましたが、最近のインフルエンザ流行の兆しで暫時休止となりました。昨年も一度再開したものの、インフルエンザ流行のため、しばらく様子見をしていた経緯があります。コロナ禍以来、この六年ほどのあいだ「…

久方の天つ空

9月に入ったにもかかわらず、遠い空に巨大な入道雲の姿がひとつありました。去る夏を食い止めようと、立ちふさがっているようにも見えます。いにしえの、秋の空の遠くの方を見遣る歌。 風の音秋にもあるか久方の天つ空こそかはるべらなれ (紀貫之)秋風の…

白芙蓉の花

稽古場には、竹の鶴首に一本、白い芙蓉の花が咲いていました。 空に向かって大柄な花を広げている姿は、まるで宙に浮いているかのようです。風が吹けば揺れて、そのまま散ってしまいそうな一日花ですが、稽古のあいだ、ずっと同じ姿を保っていました。見かけ…

秋茄子の振り幅

秋茄子が食卓に並ぶようになりました。焼き茄子は口に入れた瞬間に繊維がほどけ、果肉は上品な甘みを残します。漬物にした茄子が、口のなかで「キュッキュッ」と音を立てるのも、今まさに生きていることを感じさせる瞬間です。 つつましいこの幸せよナスをと…

山土産(やまづと)

稽古場に置いてあった茶道具カタログのタイトルが「山土産」(やまづと)でした。もうそんな季節なのかと思います。 山の産物を表わし、秋の山の幸を指すことが多い言葉です。この美しい言葉は、数年前の秋の茶会で、お茶菓子の銘に付けられていて、初めて知…

キツネノカミソリ

茶道の稽古の帰りに、立花山のほうに車を走らせると、面白い野草を見ることができます。林のなかにひときわ明るい花が見えたので、車を停めて近くに寄ってみると、キツネノカミソリでした。長く伸びた茎の先に、燃えるような赤い花をいくつも付けています。…

リンドウの花

リンドウは、お盆の時期に備えられる仏花として馴染み深い花です。少し秋が深まると、山野に自生する、鮮やかな青紫の釣鐘状の花を見ることができるようになります。花を天に向かって広げる姿は、物静かな女性が、ふっと笑顔を見せているようにも見えます。…

百日草の咲くころ

近くの公園の新しくなった花壇には、季節の花々が咲き誇っています。このなかで一番長く咲き続けているのは「百日草」でしょう。初夏から秋まで百日の間咲き続けるので、この名がついたのだそうです。夏の時期の他の花々と同じように、次から次へと新しい花…

葡萄の重たさ

巨峰の産地直売所へ足を伸ばしました。ここで選んだ葡萄を、妻の実家の手土産にするのが、この時期の恒例行事なのです。 臨時直売所の駐車場は、この時期やっと駐車できるほどの繁盛でした。テントの仮設店舗に並んだものから、色が濃く粒がそろっていて、軸…

ケイトウの花

台風15号のために立ち往生した、おびただしい数の車の映像を見ました。酷暑のなかの復旧作業を強いられる被災者の、無事と健康を思います。 台風が過ぎて三日目倒されしケイトウむっくと立つ気配なり (鳥海昭子『誕生日の花と短歌365日』)人の背丈ほども…