犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

2018-01-01から1年間の記事一覧

歳月不待人

初釜のお点前を務めるよう師匠から仰せつかって、稽古場の掛軸の「歳月不待人」に急かされるように感じます。全ての手順を頭に叩き込むためには、もう少し時間がほしい。しかし時は嘲笑うように過ぎ去ります。 陶淵明は「及時當勉勵 歳月不待人」(時に及ん…

壺中日月長

炉のお点前は薄茶の席でも、亭主の出入りのたびに襖を開け閉めします。そこが風炉の季節との大きな違いで、茶室がいっそう小宇宙の観を呈するところです。床の間には「壺中日月長(こちゅうじつげつながし)」の軸がかけてありました。 出典は『後漢書』に収…

川のほとりの大きな木

西アフリカに位置するリベリア共和国は、内戦が続く世界最貧国のひとつです。アメリカ合衆国で解放されて自由を得た88人の黒人奴隷たちが、西アフリカに入植し独立したのが1847年。リベリアの国名はliberty(自由)に由来します。 建国の父たちはキリスト教…

スロー・グッバイの始発駅

父の介護の日々を終えて、今感じるのは「あのとき、ああしていればよかった」という後悔の念ばかりです。もっと頻繁に孫達との食事の機会をつくるべきだった。食事制限が取れ、車椅子で入れる回転寿司をようやく見つけ皆で食事をしたときの、孫達に皿を取っ…

車椅子日和

歌人の桑原正紀さんは立教高校の教師であり、野球部の顧問を務めていました。このときの教え子に長嶋一茂などもいます。若者に囲まれた職場にいた桑原さんは、ある日から人生の終末に臨むひとの世界に入ってゆくことになります。別の高校の校長をしていた妻…

二十四時間のなかの蝉声

横たわるわれを通過し行く時間二十四時間のなかの蝉声(せんせい)(上田三四二『鎮守』) 入院していた父が亡くなる数日前、その右足先は壊死しており、血流が保てないために抗生剤も届かない状態でした。文字どおり死と同居する体のなかを、死の時間が通過…

戸口いっぱいの日射し

柳田国男の『山の人生』の序文は、小林秀雄によって何度も触れられており、これをきっかけに同書の世界に引き込まれてしまったという人も多いことでしょう。背中をポンと付き押されて、そのまま異界へ連れて行かれるような、この導入部は若いころから常に気…

墓参りにて

母の命日のお墓参りに出かけました。父の見舞いに休日の殆どを費やしていたので、草は普段にない高さに達しています。蒲公英が砂利の間にしっかりと根付いており、うまく抜けない。茎の部分は萎れているのに、まだまだ生きたいのだろうと思います。 くさむら…

ある一行

茨木のり子さんの詩『ある一行』は次のように始まります。 一九五〇年代しきりに耳にし 目にし 身に沁みた ある一行 〈絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい〉 魯迅が引用して有名になったハンガリーの詩人の一行 絶望といい希望といってもたかが知れて…

一滴潤乾坤

お茶の稽古に通う道すがら、色彩を競うように咲くアジサイの一群のなかに、円錐形の白い花房をたわわに下げる「カシワバアジサイ」を見つけました。世界は豊かさで満ちている、そう思わせる旺盛な生命力です。 茶室の掛物は「一滴潤乾坤」(一滴 けんこんを…

ユーモアのちから

玄侑宗久さんがその著書のなかで、かつてお寺の手伝いをしていたアメリカ人修行僧について語っています。お墓の花や花竹を燃やす巧さ、思い立つと日本まで来てしまう行動力、道場での忍耐力に驚き、そして何よりその場を明るく和ませるユーモアに惹きつけら…

山花開似錦

お茶の稽古には、山花開似錦 (山花開いて錦に似たり)の掛軸が掲げられていました。出典の碧眼録は、この後に「澗水湛如藍」(かんすい、たたえて藍のごとし)が続きます。 人間はもとより形あるものはすべては滅びゆく存在である。その移ろう世の中で永遠に…

いのちの水流

茶室の待合から臨む庭には、すっかり花を落とした桜木が陽射しを通して柔らかな若葉のシルエットを見せています。 さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり(馬場あき子) 毎年違うことなく咲きみちる桜も、今年は早々と散ってしまいました。あ…

死の人称

満開の桜を楽しむ時間もそこそこに、早くも桜吹雪の舞い散る時期になりました。散る桜は世の無常を象徴するものとして捉えられますが、その無常そのものを消し去る願いが託されることもあります。 さくら花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふが…

三千歳の桃

今日のお茶席の掛軸には、可愛らしい蛤のお雛様の画に、讃として大徳寺大綱和尚の「雛の宵」という遺詠が添えられていました。和尚は表千家吸江斎や裏千家玄々斎とも親しく、和歌や茶道の嗜みも豊かであったと伝えられます。 三千歳の桃の盃とりどりに いず…

春風吹く

心理学者であり高名な茶人でもある岡本浩一さんは、近著『心理学者の茶道発見』(淡交社)で、茶道の「他者受容」について述べており、色々と考えさせられました。 精神の健康な人は、おだやかな楽観に満ち、他者受容が高いのに対し、他者のささいな瑕疵に心…

紅炉一点雪

初釜に招かれ、本年初のお茶席となりました。お席の掛軸は「紅炉一点雪」です。真っ赤に燃え盛った炉の上に、一片の雪が舞い落ちては、一瞬のうちに溶けてしまう。そのはかなさを語っています。『碧眼録』には次のように記されています。 荊棘林透衲僧家 紅…

松無古今色

床の間に「松無古今色」(松に古今の色無し)の掛け軸をかけ正月を迎えました。松には古葉、若葉の入れ替わりはあっても、季節を通じてその翠を保ち、年月を経ても変わることはありません。変わらぬ松の翠を、変わらぬ家族の安寧、親しいひととの変わらぬ交…

変わるための正月

玄侑宗久さんによると「正月」とは、もともと修正する月という意味あいで、そう呼ばれたのだそうです。絶えず変わりつつ変わらない人生は、変わらないことによって歪みを溜め込むことになります。昔のひとはその歪みを修正するタイミングを、年のはじめとし…