犀のように歩め

自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ。鶴見俊輔さんに教えられた言葉です。

山本由伸「三昧」の投球


山本由伸投手が、ワールドシリーズ最終戦を戦い終えたインタビューで、「まるで野球少年に戻ったような気持ちだ」と語っていたのが印象に残っています。

それは、ただ目の前のプレーに夢中になっていた、ということなのかもしれません。

そのとき、ずいぶん前に読んだ玄侑宗久のこんな話を思い出しました。

セメントを作るために砂利を一輪車で運んでいる人に、「代わってあげよう」と言えば、その人は喜んで受け入れるかもしれない。

しかし、砂場で一心に砂遊びに興じている子どもに、「大変だろうから代わってあげよう」と言っても、きっと無視されるだけだろう。

会社の仕事というものは、前者の作業に似ている。入れ替えがきくことが組織の層の厚みをつくり、どの社員も「かけがえのない」存在ではない。

けれど、それだけにとどまるなら、あまりに寂しい。

私たちは入れ替え可能な役割を引き受けながらも、「遊び」の心によってその仕事を生かさなければならない。

玄侑さんは、砂場で遊ぶような気持ちで物事に当たることを「遊戯三昧」と呼びます。

「自分が何かをする」のではなく、「自分という器のなかで何かが起こる」――それが三昧の世界です。

ピンチのなかでも淡々と投球を続ける山本投手の姿には、その三昧の境地が感じられました。

三昧に入った山本由伸には、もはや「代わり」は必要ありません。

長く語り継がれるであろう最終戦のピッチングのなかに、私は「三昧」の姿を静かに見た思いがします。

「三昧」に入る


本日の稽古は炉開きでした。床の間には「平常心是道」の軸が掛かっています。

久しぶりに着物を着ての稽古だったせいか、裾を踏んだまま立ち上がろうとして、危うくバランスを崩しそうになりました。まるで下半身が反乱を起こしているような具合です。

むかし、山東京伝という戯作者がいました。『べらぼう』に出てくる、あのチャランポランな人物です。京伝は『笑話於臍茶(おかしばなしおへそのちゃ)』という黄表紙で、上半身ばかりが優遇されることに抗議して、下半身が反乱を起こすという奇妙な物語を書いています。

最後は「臍の翁(へそのおきな)」が仲裁に入り、事をおさめるという荒唐無稽な話なのですが、臍のあたりが体全体の調和を保つ要であるという、我々が漠然と抱く感覚をよくとらえているように思います。

そういえば、高校時代に弓道部で、臍下丹田を意識して呼吸を整えると矢筋が安定するのだと、何度も練習したものでした。体の中心に静けさが宿ると、動きにも自然と芯が通るのです。

「平常心是道」の語を問われた總持寺開祖・瑩山禅師は、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と答えたと伝えられます。つまり、作為を交えず、今この瞬間に全身をゆだねる三昧の境地を指しているのでしょう。

とはいえ、「そうしよう」と思ってできるものではありません。心や体を操作しようとする意図そのものが、すでに作為の始まりです。臍下丹田に意識を沈め、呼吸を調えると、体全体がひとつの器となったような感覚が訪れます。
矢を射るにしても、茶を点てるにしても、「自分が」何かを成すのではなく、この器の内で何かが起こる、そのような感覚です。
三昧とは、おそらくこの「器のなかで何かが起こる」感覚に近いものなのでしょう。


山東京伝の物語における「上半身の優遇」を「自分が何かを成すという意識」に置き換え、「臍の翁」による調停を、丹田に意識を沈めて三昧の境に入ることと見なすなら、この荒唐無稽な話も、ただの戯作ではないように思えてきます。

四頭立ての馬車


佐々木朗希がピンチでマウンドに上るとき、胸が熱くなってしまいます。彼はまだ、わが娘たちと同じ歳なのです。その心中を察するうちに、だいぶ前に書いた「四頭立ての馬車」の話を思い出しました。

精神科医の名越康文さんは、「心は自分そのものではない」と言います。むしろ「四頭立ての馬車」にたとえた方がよい、と。
つまり心とは、対象としてとらえるべきものであり、常に点検し、整備し続けなければならないものだというのです。

四頭の馬にはそれぞれ意識があり、右に進もうとする馬、左に曲がりたがる馬、猛然と突き進む馬もあれば、急に立ち止まる馬もいる。それが「心」の実態なのだ、と名越さんは述べます。
ここで重要なのは、私たちは暴れ馬そのものではなく、それを操る「御者」なのだと冷静に認識することです。御者として未熟であっても、これから成長できる。そう信じる手がかりが、ここにあります。

暴れ馬を御するというと、暴走を抑えるネガティブな面だけを思い浮かべがちですが、それだけではありません。名人の御者ならば、四頭立ての馬車を天馬のように美しく駆けさせることができるはずです。
その心構えについて、名越さんは次のように語ります。

ゴールをどこに見据えるか、頭ではわかっていても、それを拒否する段階があります。
そんなところまで願いが叶うわけがないとか、そんなうぬぼれたことできるわけないじゃない、というふうに。

そういうときは、「オリンピックに出るアスリートになった気持ちで、真剣に祈ってみる」と思ってください。(『心がスーッと晴れ渡る感覚の心理学』)

日の丸を背負い、プレッシャーに押し潰されそうになりながらも、すべての力を振り絞るオリンピック代表の姿を思い浮かべるとき、私たちは、極限で発揮される人間の潜在力をありありと想像できます。
そこまでイメージできたなら、「さあ、今度はあなたの番だ」と名越さんは背中を押すのです。

四頭の馬が息を揃え、名人の御者が手綱を引き、いままさに天へ駆け上ろうとする瞬間──。心という暴れ馬を操る御者というイメージを抱くとき、私たちは心の束縛から放たれるだけでなく、天馬の飛翔をも、自分のものとして感じられるのではないでしょうか。

茨木のり子「みずうみ」


茨木のり子の詩の中で、最も好きなもののひとつが「みずうみ」です。
ランドセルを背負った幼い二人の娘が「だいたいお母さんてものはさ、しいん としたとこがなくちゃいけないんだ」と文句を言うところから、この詩は始まります。

きっと登校前の娘たちに、母親がうるさく指図していたところに、思わず発した娘たちの言葉だったのでしょう。ひとり残された母親は、「名台詞を聴くものかな」とひとりごち、湖に降りてゆくように思いを馳せます。かつて会った人たちの面影を探りながら。

詩は次のように続きます。

 お母さんだけとはかぎらない

 人間は誰でも心の底に

 しいんと静かな湖を持つべきなのだ



 田沢湖のように深く青い湖を

 かくし持っているひとは

 話すとわかる 二言 三言で

 それこそ しいんと落ちついて

 容易に増えも減りもしない自分の湖

 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

 教養や学歴とはなんの関係もないらしい

 人間の魅力とは

 たぶんその湖のあたりから

 発する霧だ

自分にとっての「みずうみ」とは、あるいは尊敬するひとの魅力のような「湖の霧」とはなんだろう、そう考えさせる美しい詩です。

こんな昔話があります。

田沢湖のほとりにある祠に翁の面が収められていました。月が出て霧がこめるころ、魍魎たちが現れて、翁の面とともに宙に浮いて舞い始めるのです。この怪現象を恐れた村人たちは、大きな石に穴を穿ち、ここに面を閉じ込めて石蓋をしました。そうすると、魍魎は現れなくなったという話です。

茨木のり子は、この昔話を踏まえていたのではないのでしょうが、詩の中の「他人の降りてゆけない魔の湖」というくだりに響き合うように感じました。
昔話の中の「魍魎」は人の哀しみ、「面」はその哀しみを誘う誰かの面影、ではないでしょうか。そう考えてくると、人間の魅力に喩えられる「湖の霧」とは、哀しみに引き寄せられると同時に、その哀しみを封印しようとするような、引き裂かれる思いではないかと思います。

誰の心にもある「魔の湖」それを覆い隠すような深い霧――「しいんと静かな湖」という言葉は、そう考えてみることで、深みを帯びるように思います。

不在が開く美しさ


プランターにようやく根付いたホトトギスが、ひとしきり花を咲かせたあと、ひとつ、またひとつと萎れてゆきます。まだ青みを残す葉のあいだから、白紫の斑点の花がのぞくさまは、茶花に似合う控えめな美しさでした。今週からの急な冷え込みに、花も驚いたのでしょう。

秋の深まりは、これまで当然のようにあったものの「不在」によって気づかされます。そして、ものの不在をもっとも巧みに詠んだ歌人が、藤原定家でした。

 駒とめて袖うちはらふ陰もなし 
 佐野のわたりの雪の夕暮れ

この歌では、まず馬をとめて袖につもった雪を振り払う姿が描かれます。大雪のなかを行く旅人の姿を思い浮かべたところに、「陰もなし」と続きます。そこには、雪に覆われた夕暮れの景色だけが広がり、人の気配はどこにもありません。
一度心に映った「駒とめて袖うちはらふ」姿が消えないまま、その上に静かな雪景色がかぶさってくる、その重なりによって、いっそう深い寂しさが生まれています。定家はこのように、ものごとの「不在」によって寂寞の感を詠みました。

 み渡せば花も紅葉もなかりけり 
 浦の苫屋の秋の夕ぐれ

この歌でも、花や紅葉の彩りを一瞬思い浮かばせておいて、すぐに「なかりけり」と打ち消します。想起と不在の対比が、しみいるような侘びの情を生んでいます。この歌は、利休の師・武野紹鴎の侘びの心を詠んだ歌とも伝えられています。

色づく葉の美しさも、かすかに香り始めたキンモクセイの匂いも、やがて消えていきます。けれども、その「やがて不在となる」ことを思うとき、いっそう愛おしさが募ります。
移ろいゆくもののはかなさと、そこに調和する静かな寂しさ——単なる不在ではない広がりのなかに、秋の深まりの美しさが息づいているように思います。

歳月を織る


詩人の茨木のり子が、哲学者・長谷川宏との対談『思索の淵にて』の中で、次の詩(長詩の一部)を紹介しています。今まで読んできた詩のなかで、一番好きな詩なのだそうです。

 年をとる それは青春を

 歳月のなかで組織することだ

 (ポール・エリュアール/大岡信訳)

青春を「組織する」、組み立て直すという言葉から、織物のイメージが浮かぶと、茨木は語ります。青春の爆発や戸惑い、絶望などがないまぜになって、つかみようもないものを「縦糸」として結び直し、あれは一体何だったのだろうと思いながら、「横糸」を一日一日と織りなしていく。人生とは、そのようにして一枚のタペストリーを織り上げていくことなのかもしれない、と。

わたし自身を振り返ってみると、若いころの夢を断念していまの仕事に就いたときの、割り切れない思いが真っ先に思い出されます。そのとき、ふたつの糸を無理やり撚り合わせて一本にしたため、縦糸はどこかいびつに膨らんでしまいました。その後も、仕事のことでそのいびつさは少しずつ増していったように思います。
三十年ほど前に妻という縦糸が加わり、二十三年前には二本の美しい糸が織り込まれました。この三本の糸のおかげで、わたしの織物は彩りを得ることができました。

そんな縦糸を織物として「組織」していく横糸は、茨木の言葉を借りれば、「あれは何だったのだろう」という思いなのだと思います。横糸のはたらきとは、ひとつひとつの思いを「鎮める」ことではないでしょうか。そうすることで、撚り糸のデコボコも、新しく加わった糸たちと調和していくのだと思います。

青春の縦糸は、「鎮める横糸」によってひとつひとつ丁寧に括られて、やがてタペストリーの端を飾るフリンジになってゆきます。それは、人生の終わりにそよぐ、自由な風のかたちのように思えます。

茨木のり子は、こんなふうにも書いています。

どんな仕事であれ、若い日の憶いが高齢になるまでひとすじ、つながっている人のほうが、どちらかと言えば好ましい。
(前掲書)

人生の終わりにタペストリーが織り上がり、ひとすじの縦糸が風にひらめくフリンジのように自由であるならば、その人は、美しい人生を全うしたと言えるのではないでしょうか。

大谷翔平の最も偉大な日


土曜日はお茶の稽古の日なので、たとえ大谷翔平が先発であろうと、リーグ優勝がかかった大一番であろうと、私は午前10時には家を出なければなりません。

大谷が第2打席でフォアボールを選んだところで、後ろ髪を引かれながら稽古に向かいました。

さて、この日の稽古は「花月」です。
札を引いて役割を交代しながら進める、私の苦手とする稽古です。
人数が揃わないと始まらないし、「早引け」もできない。札の巡りで何度も繰り返すうちに、普段よりも稽古が長引く。――試合が終わってしまうのではないか、と落ち着かないまま稽古を続けました。

稽古の帰りにいつも寄るうどん屋でスマホを開くと、大谷の大活躍を後から知りました。
七回途中まで十奪三振・無失点、さらに三本塁打。にわかには信じられない数字が並んでいます。おそらく二度と再現されることのない記録でしょう。

思い出すのは、2023年7月27日、タイガースとのダブルヘッダーです。
第一試合で完投・完封、第二試合で二打席連続ホームランという伝説的な一日。あの日を、さらにひとまわり大きくしたような快挙でした。

それまで低迷していた打撃に対して、ロバーツ監督は言いました。
「このようなパフォーマンスでは、ワールドシリーズは勝てない」と。
その言葉に対して、大谷は静かに答えています。
「逆に言えば、打てば勝てると思っているのかなと思う。頑張りたい」と。
この日の活躍は、有言実行という言葉では足りません。少し古い言葉を借りれば、「倍返し」の意気込みであったと言うべきでしょう

ところで、大谷の愛読書に中村天風の著作があり、そこに、こんな一節があります。

何かの出来事で意気が阻喪したとき、
多くの人はまずその事情をどうにか解決しようとする。

だが、それが間違いなんだよ。

一番大事なのは、意気地をなくさないこと。
もし意気を消沈させれば、人の生命の内部光明は消えてしまう。(『心に成功の炎を』)

大谷の「逆に言えば、打てば勝てると思っているのかなと思う」というコメントには、反発ではなく、意気消沈しない人間の強さがあります。
試練のただ中でも光を失わない精神。記録もさることながら、この日の大谷翔平の姿にこそ、「最も偉大な日」という言葉がふさわしいと思います。そして「最も偉大な日」は、まだまだ続くのです。